エニアグラムは心理学ではない。
『エニアグラム研究』アーカイブに掲載したインタビュー記事を再収録しました。下記、3つの記事は当時、エニアグラムアソシエイツ代表の木ノ内博道氏が中心になってリソ&ハドソン師へのインタビューを、筆者が吉福氏とリベラ氏への直接インタビューを行ったものです。吉福氏へのインタビューには、c+Fの高岡よし子氏、ティム・マクレーン氏にも協力をいただきました。
インタビューの内容を読んでいただければ、筆者らがどのようにエニアグラムに取り組もうとしていたかということが、諸先生方の内容の濃いお話とともに、ご理解いただけるのではないかと思います。
「心を尽くして知恵に近づき、 力を尽くして知恵の道を歩み続けよ。
足跡を追って、知恵を探せ。 そうすれば、知恵が見つかるだろう。 しっかりつかんだら、それを手放すな。ついには、知恵に憩いを見いだし、 知恵は、お前にとって、喜びに変わるだろう。」(シラ書6章26-27)
それにしても、歳月はあっという間に流れ、日本におけるトランスパーソナル心理学の紹介者であり草分け的存在でもあった吉福先生、そしてエニアグラム研究者・指導者として米国のみならず日本や中国、ヨーロッパその他各国に生徒を持つリソ先生、上智大人間学部教授でイエズス会士の理辺良先生ともに、もうこの世にはおられません。けれども、教えていただいたことは、私たちの心の中に深く刻まれています。
「洞察に富んだ人に出会ったら朝早くからその人のもとへ行き、戸口の敷石がすり減るほど、足しげく通え。」(シラ書6章36)
⇒エニアグラムをめぐる状況
1970~80 年代にかけて ――吉福伸逸氏に聞く
⇒クラウディオ・ナランホをめぐって
理辺良保行(りべら・ほあん)教授に聞く
⇒リソ&ハドソン両氏へのインタビユー 前半
⇒リソ&ハドソン両氏へのインタビユー ⇒後半
『エニアグラム研究』は第3号まで発行しましたが、その後継続できませんでした。大きな理由の一つは、そのころから筆者の仕事関連のパソコンでの作業が増えてきて、腕にしびれの出る状態になり、治癒するまでに時間がかかったため、体力的に維持できなくなったためです。仕事の傍ら、編集作業に時間をさけるのは筆者しかいませんでした。
それでも、毎月少人数の集まりではありましたが、エニアグラムのワークショップを続けてきました。都内でのワークのほかに、安曇野で宿泊ワークや塩山での後藤允子先輩の指導による陶芸を取り入れたワークなども、今ではなつかしい思い出の一つです。
エニアグラムの学びは一人ではできません。グループで学ぶ必要があります。グルジェフはそのように教えています。
エニアグラムが「門外不出の口伝」と言われてきたことには、じっさいグループワークの中での「気づき」が重要な点があります。それはタイプを分類する質問紙などでは得られないものです。
自己診断で自分のタイプが何であるか、ある程度までは理解することができます。
そして、それを自分自身を理解するために、仕事や人間関係に生かすために、応用することは、ある程度までできます。
ですが、エニアグラムのパーソナリティ理論は、たんなる性格類型論ではなく、私たちのパーソナリティの深層に分け入っていくものなので、自分一人でそのことに気づこうとしてもそれは無理な話なのです。
心理的なレベルでの自己理解は、心理的なレベルを超えることができません。自己理解が頭での理解となってしまうのです。
鈴木秀子氏の『9つの性格』(PHP研究所)がベストセラーとなったころ、ほとんど話題にはなりませんでしたが、ある”心理学の専門家”がエニアグラムを血液型性格診断とほぼ同列にとらえ、きわめて非科学的で、9つのタイプについては主観的信念にすぎないものであると述べています。
また、9つのタイプのネーミングについて、バーナム効果※に等しいと言っています。
※バーナム効果:誰にでも該当するような一般的であいまいな記述。血液型タイプの記述や占いの文言などにこのような記述が用いられていると言われている。
その専門家は性格特性論の研究者でビッグ5で人間の性格は予測できると主張しています。こういった専門家の「心理学」とは近代以降のヴィルヘルム・ブントの実験心理学に始まる科学としての心理学です。以降の心理学の流れには、ウイリアムズ・ジェームズをはじめ、フロイトの精神分析やユングの分析心理学も入っていますが、上記の専門家は、どちらかというと精神分析などに対しても批判的です。
⇒『性格は五次元だった』
科学としての心理学が、科学とは検証可能な領域を扱うのだとしたら、実験心理学や統計的に証明できるようなものでなければ、心理学とは言えないのでしょう。だとしたら、なぜ、あえて専門家がその著書の中に、わざわざそのジャンルに入らないものをとりあげて、批判のための批判をしているのかよくわかりません。
その本の中にある問題は、エニアグラム以外にも、もしかしたら性格検査や適性論などに興味があり、その本を手に取られる方が今後もありうるかもしれないので、筆者がその本を読んで思ったことを書き記しておきます。
問題の一つは、9タイプの本質は生まれながらのものであり、9つのタイプに属する人が世界中9等分で生まれるという鈴木氏の著書の記述をめぐる批判です。鈴木氏の著書を振り返って読んでみると、たしかにそういう記述があります。
しかも、心理学者が鈴木氏は著書の中で「人間には9種類の本質があり、すべての人間は、そのうちの1つをもって生まれてくるというのが公理だと主張している」と述べているところは、たしかに「公理」という言葉が用いられているのです。
9等分に生まれるというのはどこから伝わってきた話なのでしょう? これはわかりませんね。
また、「公理」というのは、ある命題を導き出すために前提とされる仮定ということですが、エニアグラム研究者・指導者の間では、エニアグラムのタイプの本質はたしかに持って生まれたものらしいと考えられています。筆者もそう思います。しかし、「公理」という言葉には、どこか違和感を感じてしまいます。
それはさておき、不思議なのは、ビッグ5の専門家が、なぜ自著に何ページも割いて、まったく研究対象ではないエニアグラムをわざわざ批判するためにだけ取り上げているのかということでした。
その理由の一つはおそらく、当時ベストセラーとなった鈴木氏の『9つの性格』は、それほどインパクトが強かったということなのでしょう。
人材研修の仕事に携わる人たちの中でも、エニアグラムに関心を持っ人たちは多かったようです。
エニアグラムは「心理学」ではない!
その理由をここに記します。エニアグラムは・・・
・探求のための道具である。探求とは自己探求である。
・エニアグラムの理解はワークを必要とする。
※質問紙でデータを取って解析するようなものではない。
・ワークはメンバーを必要とする。一人ではできない。
※ワークは自己開発セミナーのようなものではない。
・自己探求のためには自己観察が必要である。
・呼吸と瞑想を伴う。
※質問紙でデータを取って解析するようなものではない。と書きましたが、それは可能ではあると思います。ただ、誰もそれをやっていない。
筆者はもともと、最初に所属していた団体が中心になって、そういうことをやっていくのか、もしくは日本国内でエニアグラムを学んでいる人たちが、相互乗り入れのような形でエニアグラム協会のようなものが作られることを希望し思い描き望んでいました。
ある人たちはビジネスのジャンルで、また学生や若い人たち、適職・適材適所、ある人たちは親子関係・家族関係への応用、またカウンセリングに用いている人など、様々なジャンルでエニアグラムを用いている人たちが集まり、研究会や報告会ができて、そこでデータを集め共有財産としていけるような機関をイメージしていました。
しかし、結局のところそういう流れにはならず、前回の随想のなかで触れたように、筆者はそれ以上葛藤に巻き込まれたくないために、少人数のグループで学びを続けることにしたのでした。
そして、エニアグラムについての本を書きたい、どのように記述すればエニアグラムというものをうまく読者に伝えられるのか、その試みにエネルギーを使いたいという物書きとしての欲求は少し脇において、従来から仕事の発注が続いていた心理ゲームを創作しながら(そういった活動を生業として)、エニアグラムの学びと研究を淡々と続けていました。
そうして、2004年のことでした。ワンコインで買える本という形で、地味にまとめた心理ゲームの本が、永岡書店から『魔法の心理テスト』というタイトルで刊行され、気づかないうちにそれが、ベストセラーになっていたのでした。