2019年12月5日(木)
エニアグラムヨガ™ 自分とつながる
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エニアグラムヨガ™


 変容のためのエニアグラム 

 自我のとらわれからの解放を目指し、自己探求を行っていくには、いまここに根差すことが必要になってきます。私たちのエニアグラムの先生であるラス・ハドソン師は、つねにそのことを強調されています。

 自己探求は自己観察から始まりますが、それは「いまここ「」の自分とのつながりを回復するということでもあります。
 たんなるタイプ探しのエニアグラムでは、自我のとらわれを突き抜けていくことはじっさいむずかしいです。書籍やWeb上での自己診断、自己チェックは、自分探しの入り口として有意義ですが、それはほんの入り口にすぎません。

 それは、ともすると自己理解が頭での解釈になってしまうからです。文字情報は思考を介して解釈されます。そのとき、「つじつま合わせ」のようなことが起きてくることがあります。「自分はこういうこところがあるから、このタイプに違いない……」とか。

 通常のセミナー形式のやり方でも、タイプ理解が頭での理解に終始してしまうことがあります。

 自分とつながる、呼吸

 米国エニアグラム研究所リソ&ハドソンのワークでは、繰り返し「いまここに根ざす」ようながされてきましたが、ではどのようにして「いまここ」にいるのかというと、大事なのは呼吸であるということになります。

 日本ではほとんど語られていないことですが、パーソナリティタイプのエニアグラムの創案者であるオスカー・イチャーゾは、ハタヨガ的な呼吸法やアーサナ(身体の動き)を取り入れた体操のようなものを考案していました。また、クラウディオ・ナランホも、東洋的な瞑想やヨガの効果に精通していました。


 筆者は、エニアグラムワークも本来、プラーナーヤマ(呼吸法)を取り入れた瞑想的ワークを取り入れた方がいいと考え、エニアグラムとヨガを結び付けたエニアグラムヨガを始めることにしました。

 これはグルジェフの第四の道の実践にもかかわることです。本能・感情・思考の三つのセンターに同時に働きかけ、アンバランスな状態から、調和のとれた状態へと向かうことを目指しています。

 もちろん、エニアグラムヨガは、ヨガでもあるので、日々の生活の上ではよき眠りをもたらすワークとして、同時に精神の覚醒を目指すワークとして取り組んでいきます。

※エニアグラムヨガを始めるにあたり、3~4年かけてエニアグラムアソシエイツの中嶋がヨガインストラクターの資格を取得(RYT200 =全米ヨガアライアンス200)、年齢や体力にかかわらず、また身体機能の制限のある人にも、ヨガができるよう、シニアヨガインストラクター養成コースにも通い資格をとりました。自己鍛錬のためのヨガは黙々と続けています。



 リラックスした状態を知る

 エニアグラムヨガはエニアグラムの大きなテーマである本能・感情・思考の三つの精神機能に働きかけ、自分自身とのつながりを回復することを目的としています。

 ふだん、わたしたちは忙しい日々の中で、様々な思い、煩い、憂い、先の計画、期待、不安などを抱えながら過ごしているものです。自分自身の生き方、仕事や周囲の人との人間関係における葛藤もあれば、昨今は気候の変動によるストレスなども大きくなってきています。

 頭の中には様々な想念が浮かび、感情は乱れ、身体的には緊張が生じます。寝ていても、緊張している状態です。「なかなか眠れない」という人がいます。なぜ、眠れないのか? 体の緊張が解けていない場合があります。

 完全にリラックスした状態とは、眠っている状態ではありません。完全にリラックスできていれば、思考は適切に働き、感情は豊かで、穏やかに、いつくしみに満ちたものになるでしょう。

 エニアグラムヨガでは、みんなでヨガをやりましたではなく、無理のないアーサナを行うことでの「気づき」を大切にし、参加メンバーでその気付きをシェアしていきたいと思っています。目指しているものが、リラックスできてよかったねで終わるものではなく、「自分自身に立ち戻るというところから始まる!」ということになります。
 
 ヨガというと「体が硬いから」という人は多いですが、そういう話ではない。それは空想の中で、ヨガってこういうものだからというイメージがあり、自分はそういうことはできないと思ってしまうのかもしれません。あるいはただ、やりたくないということの意思表示にすぎないのかもしれません。

 筆者が、エニアグラムの学びにヨガを取り入れたいというのは、たんに椅子に座って呼吸しました、さあ、エニアグラムのタイプについて学びましょう、シェアしましょうというだけでは、なかなか深いところまで行けないという思いがあるからです。逆に、エニアグラムはなんだかよく知らないけど、ヨガの方は興味があるという方で内面の探求ということをめざしておられるなら、ご一緒にやれることがあるのではないかと思います。

 なお、ヨガについての筆者の思いはなかなかうまく表現できないので、現代ヨーガの世界的指導者あヨガの師アイアンガー師の言葉を以下にいくつか引用しておきます。

 

アイアンガー 「ヨーガの樹」より引用

「ヨーガを実践することは、身体を心に結びつけることである。ヨーガに習熟している人にとっては、それはまた心を知性に結びつけることであり、さらに一層習熟度の高い人にとっては、身体と心と知性を、魂の深みに結びつけることである」

「人生において、ヨーガを実践するのに、決して遅すぎることはない。」「五〇歳、あるいは六〇歳で、人生においてヨーガ実習を始めるのに遅すぎるかどうか自問してみると、心のある部分では「やってみたい」と言い、別の部分ではためらっている。迷う心の部分とは何か。たぶんそれは恐れである。恐れを生み出すものは何か? 心は三つのトリックを演じる。一つの部分は前進しようとし、もう一つは迷い、そして別の一つは恐れを生じる」

「恐怖から、人は年を取るほど疾病や苦痛が増える。もっと早くヨーガをやっておくべきだったとか、若いころ止めずに、続けておくべきだったとか、マインドは考える。今、あなたは年を取ったので、もう遅すぎると言い、躊躇してしまう。すぐに始めた方が良く、始めたらならば、規則的な練習リズムを維持するように」

「ある年齢に達すると肉体は確実に衰えるので、何もしないと、以前は血液循環されていた体部に血液を供給できなくなる。アーサナを行うことにより、体の外縁と深部に血液を循環し、細胞が健康を維持する。」

「一点に焦点を合わせることが集中で、すべての点に同時に焦点を合わせることが瞑想である。瞑想は求心的であると同時に遠心的である」「集中は一つの焦点を持つが、瞑想には焦点がない。これが秘義である」

「ヨーガには二種の練習法がある。あなたが、過去の印象を反映することなくその練習に完全に没頭しているが、その瞬間瞬間に正確さと完成に向けて行い、調整しているなら、それはスピリチュアルなものである。あなたが動揺し、心がさまよっているのなら、あるいは、自分自身、身体、心、思考の間に違いがあるならば、たとえヨーガを行い、それを精神的なものと呼んでも、それは享楽的である。」

「知っていることだけを教えよ。知らないことを教えてはならない」

「眠っている意識を目覚めさせることが、「気づき」である」「気づきがなくなると、集中は消え、知性は消え、そして意識もまた消える」

「瞑想は言葉で言い表しうるものではない。それは、生のなかで直接体験せねばならない。瞑想は教えることもできない。もし誰かが、瞑想を教えているというなら、彼はまったくヨーギーではないことがわかる」「あなたの生命エネルギー、知性、そして意識全体を一つのものとして、存在の中核に結び付けて生きることが瞑想である」



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