2018年6月30日(土)
エニアグラムの使い方
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エニアグラム 
使用上の注意


 エニアグラムは人の性格を9つのタイプに分類します。その中で自分がどのタイプに当てはまるかを探っていくのですが、自分タイプの傾向がわかってくると、同時に「あの人は何タイプ」と周りの人のタイプが気になり、タイプにはてはめたりするようになります。
 そのとき、他人の性格のとらわれに気付き、「あの人はだからこうなんだ」と批判的な見方が生じることがあります。自分自身に対しても、自分は何タイプでこういうところがあるからだ面だと思う人もいます。

 エニアグラムを知ると、どのような性格の人もポジティブな面もあれば、ネガティブな面もあるものです。性格の囚われがあり、その囚われの傾向に注意が向きやすくなります。

 どこで、エニアグラムを学んだ人同士が、本来はお互いの共通点や違いを理解し、家族や友人、職場の同僚など周りの人との関係をより良いものにしていくために役立つはずなのに、かえって人を裁く道具にしてしまうことがありえるのです。

 エニアグラムを学ぶと、たしかに人のこころの囚われがよく見えてきます。「囚われ」とはそれぞれの性格の否定的側面であり、よくない傾向というか、もっとわかりやすく言えば、いわゆる「悪い癖」です。他人の性格の悪い癖は、自分の性格の悪い癖よりもずっと見えやすいところがあります。

 そんなとき、思い起こしてほしいのは、新約聖書の中にある有名な教えです。イエスはこう言っています。

「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。
あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り
与えられる。あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、
なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。兄弟に向かって、
『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言
えようか。自分の目に丸太があるではないか…」
(マタイによる福音書第7章1−4)


「兄弟の目にあるおが屑」とは相手のタイプの囚われ、つまり性格の悪い癖であり、「自分の目の中の丸太」とは自分自身の(たいていは自覚できていない)囚われで あるといえるでしょう。

●タイプで人を決めつけることと、タイプを知りタイプを理解することは違います。
 タイプの判定の仕方については、愛と共感をもって、注意深く行うことが必要です。
 わたしたちはある人について、その人の持っている雰囲気やエネルギーの出方の感じなどから、「あの人はタイプ3っぽい」とか、「タイプ6っぽい」と直感的に判断することがよくあります。

 その印象は当たっている場合も多いのだけれど、ではなぜそうなのかというところが、いまひとつ言語化できないことがあります。しかし、印象論であの人は何タイプと決めつけるのはあまり意味がありません。
 有名人・著名人のタイプ判定をしたがる人もいますが、有名人・著名人のタイプ判定はそれがタイプについての理解を深めるための学びのために行われるものでなければ、これもあまり意味がありません。人によってばらばらな判定になってしまうことも多いものです。

 それよりは、「汝自身を知れ!」で、エニアグラムは自己探求のための道具です。

●人によっては自分のタイプにたどりつくまでに、長い時間がかかることがあります。明らかにそのタイプではないというタイプを、自分のタイプと信じて動かない人もときどきいます。そんなとき、わたしたちはどんな手助けができるのでしょうか。

●各タイプの描きわけが必要です。それぞれのタイプを描写する言葉がまだ少なすぎるといってもいいかもしれません。それは結局のところ、それぞれのタイプについての洞察を、もっともっと深めていかなければならないということにつながるわけですが。

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